広報・イベント

須賀川ガスの歩み

東日本大震災からの歩み

2011年3月11日午後2時46分、今まで経験したことのない未曾有の災害-東日本大震災がおきました。あれから10年。「あのとき、なにしてた?」というアンケートを実施しました。私たち須賀川ガスは、これからも東日本大震災を記憶に留めていきます。


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1階事務所にて通常業務中。皆で屋外へ避難。あまりの揺れに立っていることができず、他女子社員と手を繋ぎしゃがみ込み地面の液状化を目の当たりにし、カーブスの蛍光灯がパリンパリンと次々と割れる音が今でも耳に残っています。


空港の見える空港道路を走っていて突然のラジオの警報で前の車がハザードランプを点けて停まったので、自分も様子を見てました。直後に自宅の様子を確認し、会社に行き当日は夜の11時近くまで、お客様の対応に終われ、翌日から落ち着くまでの20日間程度、毎日警察とガソリンの配布等の対応に追われる日々でした。


当時はガス部所属で当日はガス部の研修会でしたが、白河のアパートの入居対応し、研修会へ戻る途中でした。矢吹町の農免道路を走行中、ラジオで緊急地震速報が流れ同時に揺れを感じました。慌ててハザードを出し、停止しました。道路がうねりだし、前方のトラックが左右に大きく揺れ、自分の車両も大きく揺れ、危険を感じました。揺れが収まり、農免道路はところどころ隆起や寸断してる中、本社へ戻り、その夜はガス基地にて一晩待機しておりました。


毎週金曜日は、酒スーパー須賀川店勤務となっており、震災当日は、酒スーパーへ出勤しておりました。大地震が発生し、商品が棚から落下するのを防ごうと始めは、棚の商品を手で押さえていましたが、今まで経験したことのない大きな揺れと長い揺れにより、頭の上からも一升瓶が降ってきて、これはヤバイと身の危険を感じ、スタッフ全員外へ非難する様、声掛けしました。パートさんも外へ逃げましたが、あまりにも大きい揺れで、立っていられない程で、パートさんと両手で支え合って中腰になりやっと立っていました。周りの住宅の屋根からは、瓦屋根がザーザーガラガラと次々に落下し、駐車していた車も車体の半分以上も前に動いてしまいました。少し揺れが収まり、店内へ行くと想像を絶する程の酒の山が店内通路に落下し、瓶も割れ、ものすごい酒の匂いがした事も覚えています。棚に入っていた商品は、ほぼ通路へ落下し一瞬にして酒の海状態でした。地震後一気に天気が急変し寒くなり雪が吹雪いてきたのも記憶しています。


「東日本大震災を忘れない」アンケート(全文)

 須賀川ガス 東日本震災当時の写真